FAQ

Q. 「憲法と法律」の違い?

A.日本のうんちく「憲法と法律の違いは国家と国民の違い」 憲法と法律の違いなんて、普段の生活の中では深く考えません。 しかし、訊ねられると「どう違うのだろう」と考え込んでしまいます。 単純に言うなら「憲法は国家権力に対して制限を行い、国民の人権を保障する」ものであり、「法律は国家権力が国民に対して制限を掛ける」ものです。 もっと簡単に言うなら、憲法は国のルールで、法律は国民のルールでしょうね。 ただし、法律は憲法に定められた範囲内で作られるため、国家にとって都合の良い法律は作れません(基本的には)。 また、日本では憲法、法律の他にも「政令」「条例」があります。 法律は国会で作りますが、政令は内閣で作り、条例は地方公共団体が作るように、制定する組織が違います。

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Q. 日本国憲法の中で最も短い条文は?

A.日本国憲法の中でもっとも短い条文である第23条は 五・七・五調になっている。 「学問の(五) 自由はこれを(七) 保証する(五)」 思わず口ずさんでしまいますよね! しかもこの条文、短いという特徴だけではないんです。 実は、先進各国はどこでも、学問の自由が守られているのですが、 それをこのように、憲法に特別の条項をつけてまで保証しているのは 日本の憲法だけなんです。 憲法と聞くと難しいイメージがありますが、 視点を変えてみると少し身近に感じることが出来ますね。

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Q. 国家元首がいない国?

A.そもそも『国家元首』とは、辞書で調べると「国際法上、外部に向かって国家を代表する資格をもつ国家機関」と記されています。 会社の代表は『代表取締役』、国の代表が『国家元首』となるわけです。 アメリカでは現在オバマ大統領、一方イギリスではエリザベス二世と、それぞれ明確になっておりますが、実は日本にはこの『国家元首』に関する記載が、現行憲法には明確に記載されていないのです。 日本ではこの『国家元首』を国の象徴とされている『天皇』だと言う学者や、条約の締結など、外交の処理を担うのが内閣総理大臣なので『首相』が元首ではないか?とする学者がおり、極めて曖昧な位置づけになっています。 しかし、大日本帝国憲法では第4条で天皇を元首と明確に定めていました。 確かに日本国憲法(第73条2号・3号)によれば、実務的な外交権は内閣に属します。しかし、国際社会において、内閣といったような合議機関を元首とする国は例がありません。 しかも、日本国憲法は第6条で、天皇が首相を任命することを定めているため、天皇は首相よりも地位が上であることは明確です。もし首相を元首とするならば、元首が天皇から任命されることは矛盾します。 元首が明確ではないと言う事は、会社の社長が決まっていないのと同じですよね。 さて、皆さんはどうお考えになりますか?

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Q. 日本国憲法には英語の正文がある?

A.日本国憲法は、連合国に日本が占領されている昭和22年に施行されています。 先に書いたように、占領中の法律ですから、占領中は日本語に並んで英語も正文(正式な条文)として扱われていました。 ただ、日本が昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約締結により、主権を回復し、独立を果たした後は、英語の正文はその役割を終えました。 もっとも、憲法学者の中には、今でも日本国憲法の条文を解釈をする際に、英語の正文を参照して、その文言を基準に学説を組み立てる方もいるようです。 日本の憲法なのに、英語基準で解釈するなんてちょっと変ですよね。

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Q. 憲法に平和主義条項がある国は日本だけ?

A.日本は「唯一の平和主義国家」という話を聞いたことがある方も いるかもしれませんが実はそうではありません。 平和に関する条項が盛り込まれている国は約150ヶ国あります。 それだけ平和とは国家維持に欠かせない条件だといろいろな国の人々が思っているということです。 日本の平和主義条項に当たる9条は、暴力的手段による問題解決 を行わないことと軍隊の放棄などについてしか書かれていませんが、 他の国では「軍縮」「他国に基地を設置しない」などのようにより 具体的な条文が含まれているところもあるそうです。

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Q. 憲法裁判所を知ってますか?

A.  憲法裁判所とは、憲法事件の審査のために通常 の司法裁判所とは別に、特別に設けられる裁判所 と定義されています。通常の司法裁判所は、当事 者間における具体的な事件に法を適用して解決し ようとするものですが、憲法裁判所は基本的には 具体的な事件を解決する訳ではなく、あくまでも 問題とされる法律や処分が、憲法に適合している かどうかを審査し判断する機関です。 日本・アメリカでは通常の司法裁判所に憲法の判断の権限を付与していますが、世界を見渡すと ドイツ、フランス、イタリア、韓国、ハンガリ- など多くの国に憲法裁判所が存在します。 もちろん様々な意見があるところですが、国の 最高法規である憲法の番人、非常に頼もしく感じ ますよね。 日本では現行憲法81条により、最高裁判所にその権限が付与されていますが、私たちの憲法に 対する意識が高まりつつあるなか、憲法裁判所に ついても興味をもってみたらいかがでしょうか?

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Q. 制定過程における日本とドイツの違いは?

A.第2次大戦において、同じ敗戦国であるドイツと日本の憲法制定過程についてお話します。 【日本】 戦後、比較的早くから憲法改正の議論が始まり敗戦の翌年には新憲法が交付されました。この背 景には天皇制の問題がありました。マッカーサー は、様々な理由から天皇制の維持を目指しました が、それを成功させるためには、なるべく早く日 本人に改正憲法を作らせ、そのなかで天皇制の維持を表明させておいたほうが良いと考えました。 何故なら、占領国の中には、天皇制を強く批判し ている者もいれば、天皇本人の政治責任を追及し ようとする動があったからです。そうした動き をけん制するためにも、早く日本人に憲法改正をさせて、戦争の放棄と引き換えにする形で天皇制の維持を認めさせるしかありません。従って、天 皇制の護持と戦争の放棄は一体だったのです。 【ドイツ】 新憲法が制定されたのは1949年です。憲法制定が遅れた最大の原因は、分割占領ということにありました。ドイツ人の多くは占領地区全体を併せた統一ドイツの復活を考えた上での新憲法の制定を考えていたため、この新憲法制定は、東側との分断という苦渋の選択を意味しました。 【両国の比較】 両国の憲法を比較すると、著しい対称性が認められます。まず、制定の主体であるが、日本につ いては所謂「押し付け憲法」と言う言葉があるくらい、占領者たるアメリカ側の意向が強く反映し ていました。それが平和主義、民主主義、基本的 人権という三本柱になったわけです。 これに対してドイツの場合には、ドイツ人自身が主体的に憲法制定を行いましら。ドイツの場合はワイマール憲法という歴史的な遺産として憲法を持っていたので、いわゆる近代憲法の精神にの っとった憲法を制定する意思と能力はもっていた わけです。 しかし、この新憲法にドイツ人自身が盛り込んだ理念は、自由主義的なものであり、日本の新憲 法の持つ社会民主主義的な色彩とは著しい対照を なしていました。 その背景には冷戦の厳しい現実があり、また東側において社会主義的な理念が喧伝されていることへの対抗心もあったと受け取れます。 以上のような両国の憲法制定過程を踏まえ、皆さんはどのような考えを持たれましたか?

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Q. 日本国憲法は一度も改正されたことがない!?

A.1946年(昭和21年)11月3日、 「日本国憲法」が公布されました。 ※1947年(昭和22年)5月3日施行 殆どの国は、憲法成立後も時代に合わせて改正を重ねています。 諸外国における戦後の憲法改正の回数 アメリカ: 6回 カナダ :18回 フランス:27回(※1回の新憲法制定を含む) ドイツ :57回 イタリア:15回 中国  : 9回(※3回の新憲法制定を含む) 韓国  : 9回(※5回の新憲法制定を含む) 1947年の施行以降、一度も憲法が改正されて いない日本はかなり特殊な状況にあります。 なぜ改正されないのでしょうか? 改正の必要がない? 改正できない? 出典 最古憲法: http://matome.naver.jp/m/odai/2139904450562099401 憲法改定回数: 国立国会図書館調べ

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Q. 大日本帝国憲法が盗まれた?

A.明治20年 横浜市の東屋旅館で金子堅太郎、伊東巳代治、 伊藤博文らは憲法の文案を作成していた。 同年8月思いの他作成が進み 気を良くしたメンバーはある夜宴会を開き、盛り上がり過ぎて酔い潰れてしまった。 そこへ泥棒が忍び込み、大日本帝国憲法の草案 の入った鞄を盗み出してしまった。 しかし、文書だけしか入っていなかった為、 鞄ごと塩田に捨てられていた。 そして運良く発見され、 以降一般人の入れない密室で作成が続けられ、明治22年、大日本帝国憲法が完成した。 施行は、明治23年。 出典 金子堅太郎著「憲法制定と欧米人の評論」: http://matome.naver.jp/m/odai/2133450535868177901/2133450724168296503  

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Q.私擬憲法って?

A.私擬憲法(しぎけんぽう)とは、1887年の大日本帝国憲法発布以前に、民間で検討された憲法の私案のことで、現在60以上の存在が知られています。 1881年(明治14年)に交詢社は『私擬憲法案』を編纂・発行し、植木枝盛は私擬憲法『東洋大日本国国憲按』を起草しました。1968年(昭和43年)に東京・多摩地区の農家の土蔵から発見されて有名になった『五日市憲法』は地方における民権運動の高まりと思想的な深化を示しています。 これらは大日本国憲法に取り込まれることはありませんでしたが、100年以上も前に民間レベルで活発に憲法について議論、検討されていたというのは驚きです。

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上記以外のご質問、ご相談等は上記担当者までご連絡をお願いいたします。

「全国一斉!国民投票シミュレーション私たちの意思を示そう!」
担当副委員長 崎野 雄生
E-mail:2016kenpow@gmail.com

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